昔ばなしで薪を売るとなぜ貧乏

昔話で山に柴刈りに行くと貧乏なのはなぜ?

山に入って芝を刈っては街で売るのパターンで とても貧乏です。

 

なぜ貧乏なのか推理してみました。

貧乏なのは なぜ?

 ①柴刈りは儲かるんだけど日頃山に住んでて街のきらめきに誘われて

  贅沢三昧で浪費している。

 ②柴刈り自体が儲からない商売。

物語に出てくる人物は純朴そうなので②の柴刈り自体が儲からない商売として

推測していきます。

なぜ、もうからないのでしょう?

論理的に考えてみると

 儲けの合計=販売金額ー原価

       ①販売金額=単価×販売量

       ②原価=柴自体の価格+人件費

違反です ①販売金額②原価どちらの問題でしょう?

 ①販売金額の単価については、昔の資料が見当たりませんが

  2020年のキャンプや焚火用の薪は20kℊで約2千円です。

  これをベースにして考えてみましょう。

  販売量は昔のことなので二宮金次郎さんみたいに柴を担いだとして

  山から持って来れるのが せいぜい20㎏ぐらいでしょう。

  すると必然的に販売金額は2千円/日となります。

 ② 原価の柴自体の価格は、 どうも勝手に山に分け入ってひらってきているので

   落ちている柴は誰のものでもなくて原価0円。

   人件費は、自営なので自分に払う必要もなく0円。

 

 このビジネスの問題点は、まる1日8時間かけて2千円しか儲からないところに

 あります。

 山に入って2時間柴をひらう、2時間かけて麓に行く、2時間かけて街で売る。         

 また、2時間かけて山に戻ってくる

 時給にするとなんと250円、現在だと最低賃金違反です。

 自分の所で農作物を作る時間もないから当然町で買って行かなければなりません。

 家族のぶんも買わなければならず、手元にほとんどお金が残らずその日暮らし。

 

 この状態から抜け出すにはどうしたらいいでしょうか。

 まず、帰り2時間の移動時間 の有効活用で山のふもとの近隣のごいり用のものを

 配達し収入を得ます。

 また、街でお米屋さんなんかを薪の 販売委託先として委託します。

 販売時間を節約した2時間で山の麓で自給自足できるように開墾する。

 これによりお金の余裕がでるので 山の麓までロープウェイみたいにロープを張り

 より多くの薪を早く麓まで届けれるようにします。

 さらに空いた時間とお金で 山で栽培しやすいみかんや栗を栽培し街に

 卸すようにします。

 山に入ったり 街までいける体力と 山の特色と 街の需要と販売力を活かして

 ビジネスを展開していくというのはどうでしょうか? 

 軌道に乗れば、より付加価値の高い山の特産を開発し隣町にも売るということも

 考えれます。

 最初従業員は雇わず家族の協力を得られるようにしましょう。